江戸時代において、国内貿易の要であった「筑前五ヶ浦廻船」の千石船をつないでいた碇石。時代と共に用途も代わり、明治時代には漁で捕まえた鯨を網に捕まえておくための重石として使われていたことから「くじら石」の名がついた。
鎌倉時代初期のころ、禅宗の始祖である栄西が中国(宋)から帰国後、「唐泊山東林寺」と名付けて建設した。寺内には、「万葉歌碑」「栄西禅師像」「座禅石」がある。
神亀5年(728年)聖武天皇のころに勧請され、航海の守護神「宗像三神」が祀られた。加藤清正の虎退治を画題とした「板絵著色武者絵馬」(市有形民族文化財)は浮世絵師葛飾北斎の弟子である柳々居辰斎の作で、ここに奉納されている。
神亀5年聖武天皇の勅願時として、法隠禅師が開山となり建設された。ご本尊の千手観音(小田観音)は、清賀上人の作で「福岡三観音」の一つと伝承されている。